学校のあゆみ

大正時代

1914年(大正3年)
第一次世界大戦勃発。

この頃の学校の様子

電気孵化法実習の様子(大正3年)

本校生徒蚕児上簇収繭の様子
1915年(大正5年)
創立25周年記念。三吉米熊校長銅像完成。

式場係一同

創立25年祝賀記念帖

上記表のように、全国から生徒が集まっていた。

養蚕飼育標準表(明治43年度)

創立25年要報
小県蚕業学校の設立の目的に「研究」と「伝習」の二点があった。開校の翌年、明治26年には、試験結果をまとめた第一回「小県蚕業学校事蹟報告書」を出している。この事蹟報告は大正7年、第25回まで継続発行されている。このほかに、これらをまとめた要報が3回(10年要報、16年要報、25年要報)にわたって出版されている。(これら事蹟報告や、要報は昭和19年の空襲による火災で焼失。全部揃ってはいないが、現在あるのは、その後、同窓生の好意によって同窓会へ寄贈されたものである。)このほか、「飼育標準表」などが作成され、県下養蚕家の基準となっていた。いわば、後の蚕業試験場の役割も担っていた。
1918年(大正7年)
第一次世界大戦終わる。
11月、民間の丸子鉄道株式会社によって丸子町と大屋間開通。
1919年(大正8年)
5月、上田市制施行。
7月、皇太子殿下(後の昭和天皇)ご来校。
1921年(大正10年)
4月、創立30周年祝賀会挙行。
1922年(大正11年)
4月、長野県立甲種小県蚕業学校は「長野県小県蚕業学校」と改称。校舎を現在の上田市常入290番地へ移転。

時代ごとのあゆみ

長野県上田東高等学校
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