しだれ桑 第57号より

好きなことを続けることが自信となる


さかい整骨院院長 酒井 郁夫さん(S51年卒)

上田東高校サッカー班、当時の思い出を教えてください。

上田東高校在学中の3年間はサッカー班に所属し、大会に向けての練習及び練習試合の毎日でした。その結果、3年生の時には高校総体・国体の全国大会に出場できたことが一番の思い出として残っています。高校総体では1回戦で鹿児島実業に延長で敗れ、国体では1回戦で徳島県に敗れ、共に2回戦進出はできませんでした。全国の強豪と対戦してみてテクニックの面では通用しましたが、体力面で劣っていたことが勝てない要因だったと記憶に残っています。

卒業後は三菱重工(現浦和レッズ)で活躍され、1980年モスクワ五輪予選で日本代表選手として2試合連続得点を挙げられました。当時選手として何を大切にされていましたか。

卒業後、三菱重工サッカー部に入部して当時日本一厳しいと言われた練習量を毎日続けて21歳でレギュラーを獲得し同年に日本代表に選出され、マレーシア・クアラルンプールでモスクワ五輪アジア予選を戦いました。残念ながら日本はモスクワ五輪をボイコットしたため出場できませんでした。その後は新生日本代表として再び選出され、海外プロチームとの国際親善試合に出場しました。又三菱重工が日本リーグ・JSLリーグ・天皇杯全て優勝して史上初の三冠をとれたことも一番の思い出です。試合に出るために怪我をしないことはもちろん、毎日のマッサージによる体のコンディションを整えることを一番大切にしていました。

今のご職業を選ばれたきっかけや思いを教えてください。

練習後は毎日グラウンドのクラブハウス内でスポーツマッサージの専属トレーナーの方にマッサージを受け体調管理を行っていました。その時はこういう職業もあるのかと思っていました。その後長い会社勤めの中で「もう一度挑戦しよう」と思い、早期退職をして信州医療福祉専門学校で3年間自分の子どもよりも若い人達と一緒に必死に勉強して柔道整復師の国家資格を取得し、整骨院を開業して現在に至っております。

東高校生、後輩に向けてお願いいたします。

「継続は力なり」といいますがスポーツ、趣味、仕事何でもいいので自分の中で好きなことをずっと続けることがこれからの皆さんの人生において自信となり強力な個人を形成していくと思います。高校を卒業して学生になられる方、社会人になられる方それぞれの方向に進んでいかれる中でいずれ壁に当たる時が来ると思います。しかしこれだけは人に負けないというものがあればその壁を突破することができると思います。今は高校生という素晴らしい時間を存分に楽しんで思い出作りをしてください。

上田市立東小学校~上田市立第一中学校~長野県立上田東高校(※サッカー国体・インターハイ出場)~三菱重工(現浦和レッズ)サッカー部へ入部。サッカー日本代表としてモスクワ五輪予選出場(旧姓/高原郁夫)。国際Aマッチでデビュー戦から2試合連続得点。その後日精樹脂工業サッカー部に入部。早期退職後、信州医療福祉専門学校に入学し、柔道整復師国家試験に合格。さかい整骨院を開業。メンタルケアアドバイザー、介護予防運動指導員資格取得。

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